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居酒屋でのアルバイト

大学時代、銀座数寄屋橋のパブで1年半アルバイトをしました。クラスの友人が不始末で首になり、代わりにと頼まれ始めたのです。私の他に、他の大学でしたがラグビー部の連中が仕事仲間でした。しかし彼等は、クラブからの命令で嫌々来ているので全くやる気がなく(因みにそのパブの名前はやる気茶屋)、人目を盗んではさぼってばかりいました。店長から、全く今時の大学生はロクな奴がいないと言われ、私は彼らと一緒にされては堪らないと本気で取り組みました。

持ち場は中央の飲み物カウンターでの、ボトルのセッティング、カクテル作りでしたが、込み合うと間に合わなくなり、主任のヘルプを受けていました。やがて慣れて来ると、主任に付いて、全てのセクションが円滑に回る様、滞っている部署をヘルプする余裕が出来ました。店は変わらず繁盛していたものの、夏休みになりラグビー部の連中が辞めた後も、私が一人前になったので補充の必要はありませんでした。

オーダー取りなど接客業務は女性スタッフの役目でしたが、彼女等が間に合わない時の接客ヘルプを私がこなす様になった頃、主任は銀座並木店に移動し、フロアの男性スタッフは店長と私だけになりました。接客にも慣れると、月に一度の反省会と称する女性スタッフのストレス解消目的の飲み会にも参加する様になりました。その頃はもう4年生で、学校の方はゼミと卒論だけになっていましたので、店長のマンションに住み込み毎日アルバイトに精を出し、当初600円だった時給も倍になっていました。

二回転目位から洗い物が溜まり、料理皿が不足する様になるので、私は洗い場の小母ちゃんの手伝いを欠かさず続けました。結果的にそれは厨房の絶大な信頼を得、毎日賄い飯を分け合う仲間に加えられ、彼らの早朝野球チームのメンバーとして神宮外苑でプレーする迄になりました。卒業前にアルバイトは終わりましたが、埼玉で働くという夢を叶えて就職しても暫くは、店を使っても、俺の奢りだと言う人が何人もいて料金を受け取って貰えなかった事がとても懐かしく嬉しい思い出です。

このアルバイトで学んだ事は、接客業の基本はお客様のご要望を正しく知り、それを速やかに実現するであると云う事、サービス提供が遅れると分かった時は素直に、速やかに、そして真心を籠めて謝罪する事が何より大切だと云う事、一緒に働く仲間には分け隔てなく手を差し伸べる事が大きなトラブルを防止する大きな力である事、そして陰日向なく頑張れば黙っていても見てくれる人が必ずいて、それによって本物の信頼関係が醸成されると云う事です。

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